東京高等裁判所 昭和30年(ネ)1408号 判決
控訴人ら先々代中込庄九郎が明治二四年六月二八日死亡して先代龜造が遺産相続をし、龜造が昭和二四年四月二七日死亡して控訴人らがその相続をした事実及び本件土地の従前の登記簿は焼失したのであるが、登記簿上は本件土地は中込庄九郎が取得所有していたのを龜造が相続により庄九郎から権利を取得しその所有者となつていた事実を綜合し、かつ弁論の全趣旨を斟酌すれば、次のように認められる。
中込庄九郎は、中込六之助の実兄であるが、山梨県中巨摩郡飯野村にあつて龜井屋なる屋号で酒類醸造を業としており、弟である六之助は、甲府市相生町において同様龜井屋を称して酒類等の販売を営んでおり、自ら兄の店を本店と呼んでここを酒類の仕入先としていた。ところが兄庄九郎は、明治二三年三月二四日本件土地を地上に存する建物と共に所有者である三枝留治から買い受けて取得し、控訴人ら主張の如くそれぞれその登記を経由し、地上建物のうち倉庫は六之助の業務用に使用させ、他の建物は他人に賃貸したままとしたのであるが、右の如く地上の倉庫を六之助に使用させたことや自らの居住地が右買受の本件土地と離れていたこと等の関係から、右土地、地上建物についての管理一切はあげて弟たる六之助に委任し、六之助はこれによつて本件土地及び地上の建物に関する右のような管理のための広汎な権限を与えられていた。次いで中込龜造が父庄九郎の死亡(明治二四年六月二八日)によつて遺産相続により右土地、建物の取有権を所得し、またいわゆる龜井屋本店の当主として業を継いでからも、庄九郎と六之助との間における右のような営業上の取引関係、本件土地の管理、地上建物の使用(倉庫)、管理(その他の建物)等の関係は、そのまま龜造と六之助との間に引き継がれて継続した。もつとも龜造が若年であつたため庄九郎の死亡後ある時期において一時六之助において龜造の後見人となつたこともあるけれども、後見が終了してからも龜造は六之助に対する本件土地及び地上建物についての以上のような委任、これに伴う六之助の広汎な包括的権限をそのまま容認し、自らは租税等を六之助に対する売掛代金との差引勘定等によつて負担しつつ、本件土地及び地上建物の管理一切を六之助に任せきりにしていたのであつて、また六之助が昭和一九年一二月一日死亡してその子たる被控訴人がその家督相続をしてからも(六之助が右時期に死亡したことは原本の存在と成立に争なき甲第九号証の三の供述記載の一部によつて認められその死亡によつて被控訴人が家督相続をしたことは双方当事者の主張の一致するところである。)、龜造は引き続き被控訴人に六之助の前記地位と同一の地位を認め、被控訴人は本件土地地上建物に関し一切の管理を任され、このための広汎な権限を容認されていた。越えて昭和二四年四月二七日龜造が死亡して控訴人らにおいてその相続をなし、本件土地(地上に存した建物は昭和二〇年七月六日戦災により焼失した。)はここに控訴人、が龜造から相続取得するところとなつたのであるが、その後においても被控訴人としては事実上引き続き同様の権限あるものとして措置し来つた。(なお、本件においては法的にも、控訴人らが本件土地を相続取得してからは、本件土地につき控訴人らと被控訴人との間にも龜造と被控訴人との間におけると同様の委任関係が存続したものと見るべきである。その理由を要約するに、本件においては前記の如く兄弟を発端として双方共に父子相伝して長きにわたり一方は委任者として、他方は受任者として認め合い来つて龜造と被控訴人との間に至つたものであり、また土地、建物の管理なるものは特別の智識、技能を要する事柄ではなく、継続的な仕事であつて従来担当し来つた者をそのまま事に当らせるのを却つて便利、得策とするのが一般であること等にかんがみ、龜造の被控訴人に対する委任は本件土地、その地上の建物を相続すべき相続人のためにもなされたものと見るのが相当であり、そして本件において告知権放棄の特約の存在等相続人を不当に拘束する特段の事情は見当らないから右相続人のためにする委任も有効と解すべきだからである。)控訴人等は従来本件土地、その地上の建物の管理があげて六之助一統に任され来つた以上の経過等(控訴人忠は昭和二一年中込家の壻養子となつたのである。)の故にそれが龜造の財産であり、従つて龜造の死亡による相続によつて本件土地が自分らに帰属したことを当時詳細、適確に知らなかつたため、所轄税務署に相続の届出をなすに当つてもこれを遺脱した実情であるが、後にたまたま納税令書が送達されたところから調査の末本件土地を相続取得したことを確知するに至つたのである。
(大江 渡辺好 古原)